Home / 恋愛 / 偽りの幻影 / 第2話 初めての朝

Share

第2話 初めての朝

Author: 砺波真帆
last update publish date: 2026-08-04 21:00:00

 翌朝。麻奈は目を覚まして起き上がった。白い朝の光が、カーテンの隙間から寝室いっぱいに射し込んでいる。一瞬自分がどこにいるのかわからなくて、麻奈は何度か瞬きをした。

「……あ」

そうだった。昨日、蒼生と結婚したんだわ。

左手に光る結婚指輪を陽にかざし、麻奈はベッドを振り返る。そこには、ただ白いシーツが小さな皺を作って広がっている。

……本当は蒼生と二人で目覚めるはずだったのに。あの人の腕の中で、優しい朝のキスを交わすはずだった。

一瞬、麻奈はうなだれかけた。が、それを振り払うように頭を振り、表情を変えてベッドの上で体を弾ませ、床にストンと着地した。

「昨日は蒼生も緊張してたのかも。招待した人はほとんどが蒼生の会社関係だったし、蒼生のお父さんだっていらしてたし」

軽いストレッチをしながら、麻奈は自分にうなずいた。

「今日は朝のランニングもお休みする予定だし、着替えたら朝ごはんの前に少し筋トレでもしようかな。きっとスッキリするわ」

白いナイトドレスを翻し、寝室のクローゼットを開ける。

そこには、早野が運び込んでくれたスーツケースが二つ並んでいた。今日は新婚旅行の初日。忙しい蒼生はなかなか休みを取れなかったから、土日を挟んで都合4日の旅。

 海を見たいと言った蒼生に合わせてグァムにした。本当はハワイに行きたかった。麻奈はいつかホノルルマラソンに出たいと思っていたから、そのコースを確かめてみたかったのだ。

「でも、ハワイにはまた行けるわ。グァムは近いし、ゆっくり楽しめそう」

スーツケースを引っ張り出し、部屋着にと入れておいた動きやすいシャツとヨガパンツを身につける。長い黒髪を後ろで一つに束ねると、麻奈は床に座って軽いトレーニングを始めた。

カチャン。

微かな音と共にオークの扉が開いた。麻奈は振り返って、そこに立つ蒼生の姿を見ると、息を飲んで動きを止めた。

蒼生は憔悴しきっていた。目の下には隈ができ、ウェーブのかかった柔らかな髪は、汗でべったりと額に貼り付いている。着ていたままのスーツにはあちこちに皺が寄り、ネクタイは形が崩れてぶら下がり、シャツのボタンが外れている。

「……眠れなかったの?」

麻奈は立ち上がった。

「……ああ、まあ」

蒼生は汗に濡れた髪をかきあげると、乱れたシャツを直し、部屋に足を踏み入れた。

「起きてたのか」

「そうなの。いつも朝早く起きるから。習慣なのよ」

麻奈はくすりと笑うと、蒼生に近寄って肩に手をかけた。

「おはよう、蒼生。大丈夫?」

「……俺、汗くさいから」

蒼生は顔を背けると、麻奈の手をそっと外し、一歩下がった。

「11時に早野が迎えに来る。飛行機は午後だ。準備しておいて」

「あなたはその前に少し仮眠した方がいいみたい。蒼生、どう?」

「……ああ、そうするよ」

蒼生は片手で顔を覆い、疲れを振り払うように頭を振ると、ベッドへ目を向けた。

「……寝てもいい?」

「どうぞ。私が寝た後だけど」

麻奈はベッドを整えながら、蒼生に笑いかけた。

「一緒に寝る?」

その途端、蒼生の表情が歪み、目に冷たい光が走った。その視線を浴びて麻奈の体がすくんだ。昨日のことを思い出す。

……昨日も……こんな目をした。一瞬だけ。恐ろしいほど冷たい目。そう、蒼生に抱きしめられて、私が背中に手を回した時。それから蒼生は私を放して、隣の部屋へ行ってしまったんだわ。ごめん、と言って。

「君はもう起きたんだろ?」

蒼生はベッドに向かいながら、ネクタイを解いた。

「……ごめん、少し寝かせて。朝食はルームサービスを頼んであるから。向こうのダイニングに運んでくれるよ。先に食べてて」

言いながら蒼生はベッドに寝転び、すぐに目を閉じた。

「……そう。わかったわ」

麻奈は目を閉じた蒼生をしばらく見つめ、うなだれて部屋を出ようと背を向けた。

「……ごめん」

蒼生の呟きが麻奈の背中を追いかける。

「疲れてて……眠れなかったんだ。……ごめん、麻奈」

「いいのよ」

麻奈は振り返って笑みを浮かべた。

「寝てないのはつらいもの。少し休んで。これから旅行なんだし」

「……うん」

ベッドの中から蒼生はシャツとヨガパンツの麻奈を見つめる。

「……その格好、いつもそうなの?」

「え?」

麻奈は自分の着ているものに目を落とした。

「そうよ。朝はいつもトレーニングするから」

「……あんまり君らしくないね」

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 偽りの幻影   第2話 初めての朝

     翌朝。麻奈は目を覚まして起き上がった。白い朝の光が、カーテンの隙間から寝室いっぱいに射し込んでいる。一瞬自分がどこにいるのかわからなくて、麻奈は何度か瞬きをした。 「……あ」 そうだった。昨日、蒼生と結婚したんだわ。 左手に光る結婚指輪を陽にかざし、麻奈はベッドを振り返る。そこには、ただ白いシーツが小さな皺を作って広がっている。 ……本当は蒼生と二人で目覚めるはずだったのに。あの人の腕の中で、優しい朝のキスを交わすはずだった。 一瞬、麻奈はうなだれかけた。が、それを振り払うように頭を振り、表情を変えてベッドの上で体を弾ませ、床にストンと着地した。 「昨日は蒼生も緊張してたのかも。招待した人はほとんどが蒼生の会社関係だったし、蒼生のお父さんだっていらしてたし」 軽いストレッチをしながら、麻奈は自分にうなずいた。 「今日は朝のランニングもお休みする予定だし、着替えたら朝ごはんの前に少し筋トレでもしようかな。きっとスッキリするわ」 白いナイトドレスを翻し、寝室のクローゼットを開ける。 そこには、早野が運び込んでくれたスーツケースが二つ並んでいた。今日は新婚旅行の初日。忙しい蒼生はなかなか休みを取れなかったから、土日を挟んで都合4日の旅。 海を見たいと言った蒼生に合わせてグァムにした。本当はハワイに行きたかった。麻奈はいつかホノルルマラソンに出たいと思っていたから、そのコースを確かめてみたかったのだ。 「でも、ハワイにはまた行けるわ。グァムは近いし、ゆっくり楽しめそう」 スーツケースを引っ張り出し、部屋着にと入れておいた動きやすいシャツとヨガパンツを身につける。長い黒髪を後ろで一つに束ねると、麻奈は床に座って軽いトレーニングを始めた。 カチャン。 微かな音と共にオークの扉が開いた。麻奈は振り返って、そこに立つ蒼生の姿を見ると、息を飲んで動きを止めた。 蒼生は憔悴しきっていた。目の下には隈ができ、ウェーブのかかった柔らかな髪は、汗でべっ

  • 偽りの幻影   第1話 初めての夜

    「どうして?」 都会のビル群の中でもひときわ高く聳え立つ白いホテル。最上階の豪奢なスイートルームに麻奈《まな》の声が響き渡った。 梅雨の時期には珍しく、夜空には明るい月が昇り、都会のけたたましい灯りから逃れた星々が小さく瞬いていた。 細い肩を震わせて、麻奈は話す声まで残響となって残るほど広い寝室の片隅に呆然と立ちすくむ。左手には今日はめられたばかりのプラチナの指輪が光っている。 逞しい腕で優しく麻奈を抱き寄せた夫は、麻奈がそれに応えて指を背中に這わせた途端に体を震わせ、「ごめん、これ以上は……」とだけ言い残して寝室を出て行った。 柔らかく落とされた照明の中で、この部屋と隣室を隔てる扉の金具が鈍く光っている。つい今しがた戸惑うようにそっと閉められた硬い扉。「どうして…?」 麻奈のつぶやきがもう一度部屋に落ちた。薄く寝化粧をほどこした清楚な顔立ち。その特徴である大きな目に涙を浮かべて、麻奈は閉められた扉を見つめる。 扉の向こう、リビングのソファの上で、神崎蒼生《かんざきあお》は扉に背を向けたまま歯を食いしばって震えていた。「……沙雪《さゆき》」 唇の間から微かに振り絞るような吐息が漏れた。 ホテルはようやく落ち着きを取り戻しつつあった。国内大手である神崎グループの御曹司、神崎蒼生の結婚式は無事にお開きを迎え、贅を凝らした薔薇の花束とも見紛うような多勢の招待客も、個々帰途についた。 ほんの数時間前、麻奈はその主役だったのだ。もちろん主眼は新郎である蒼生だったし、招待客のほとんどは蒼生が社長を務める神崎テクノロジーズの関係者だった。その彼らの話題の中心は、今までどんなに条件のいい令嬢との縁談も断って来た蒼生が、これといった後ろ盾もない、ごく平凡な会社員だった麻奈と突然の結婚を決めたのは何故か、という興味だった。「でも、人の噂なんか関係ない。私はあなたを愛してるんだもの、蒼生」 麻奈は目を伏せると、左手に光るプラチナの指輪にそっと唇を寄せる。 この結婚に対する周囲の噂は聞いていた。釣り合わない格差婚。だが、それはこの結婚が偶然の出会いから生まれた思いがけないシンデレラストーリーだったというだけのこと。    安易に体を重ねた結果の不本意な授かり婚。それも違う。何故なら、蒼生は交際中に一度も麻奈を抱こうとしなかったのだから。「大切に思ってくれ

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status